WORKS+Performance Data SACHIYO TSURUMI

ヒダマリ講
2004

A: ヒダマリ様降霊の儀式
B: 誓い・祈願の儀式
C: カオス(ヒダマリ世界創造時の再現)から光へ
D: 歓喜の伝承歌(生まれ変わりの成就)
E: ヒダマリ送り

作詞:松井茂

歌(司祭)、神楽隊長、ピアノ、民衆(ゴミの楽器を演奏)

【演奏記録】
ピラミッド・サーカス
2004年7月3日(土)18:00~
会場:モエレ沼公園ガラスのピラミッド(札幌)

<出演>
歌(司祭):神田智子
作曲、演出、楽器演奏(神楽隊長):鶴見幸代
ピアノ:宝示戸亮二
民衆:観客

池田拓実による松井茂プレゼンテーション(松井茂個展:「詩の原型展」関連イベント)
2004年11月20日(金)17:00~
会場:Pepper's Gallery(銀座七丁目)
ヒダマリ様降霊の儀式より呪文部分。
演奏:さかいれいしう

<ヒダマリ講の由来>

「おヒダさん」として親しまれている「ヒダマリ様」は、元来、蘇生・再生の神様と して知られて来ました。ヒダマリ様を参拝する人々は、若返り、人生再設計、再起業 などの生まれ変わりを祈願してきました。 ヒダマリ信仰の世界観は、ゴミが世界の始源であり、それがかたちを持ち、かたちを 持った欲望が昇華することで、良質なゴミとなり、新しい欲望を蘇生・再生するとい うサイクルで世界が更新されていくというものです。 発祥の地であるモエレ沼公園では、ゴミを捧げ、ヒダマリ様を祀る行事が開かれてき ました。この祭祀が、ヒダマリ講と呼ばれるものです。ヒダマリ講は、司祭(歌手) の先導により、民衆(観客)が、生まれ変わりと再生を祈願する儀式です。 信仰の背景には、先に述べた世界観があるため、ヒダマリ様は、ゴミをエネルギー源 とすると伝承されています。そのためヒダマリ講の準備では、民衆が欲しいモノ(= 欲望)を書いた紙切れがゴミとして奉納されます。紙切れは、祭祀の中で、司祭によっ て呪文とともに唱えられます。唱えられたモノは、必ず手に入り、民衆には新しい欲 望をうけいれる人生が与えられると言われています(*下記参照)。

*欲しいモノとは?
欲しいモノ(=欲望)とは、「私」が所有を願望しているモノ。所有願望とは、他者 に対してありたい「私」の姿の投影。欲しいモノが「お金」だとすると、「私」がお 金を所有している人格であることを他者に理解されたいということを意味することで しょう。ここで民衆が奉納する欲しいモノ(=紙切れ)は、「お金があればなんでも 買える」から「お金」という意味での欲しいモノではなく、現世においてセルフ・イ メージを物象化したモノといえるでしょう。

*欲しいモノのお陰で生まれ変われる理由
ヒダマリ信仰の背景には、強力な言霊信仰があります。言霊信仰とは、発話したこと が現実化するという信仰でにもとづく呪術です。『わたしはゴミになります。XXXXの お蔭で生まれ変わります』という定例文は、ヒダマリ信仰の言霊性がもっとも明確に 現れた呪文といえるでしょう。
この呪文を通して、欲しいモノ(=欲望)が他者の前で読み上げられることによって、 「私」の真の姿を他者が理解、共有します。言霊の呪力で、現世におけるセルフ・イ メージが成就されるのです。これによって、「私」は次のステージへとステップアッ プを果たす覚悟が可能となり、未練なく自ら犠牲としてその身をヒダマリさまに捧げ られる状態となるのです。そして、いま一度ゴミとなって、生まれ変わる(リ・サイ クル!)の宣言をすることになります。
おそらく当初は、「XXXXが手に入りました。これで私は現世に未練はありません。ヒ ダマリ様の御前で、いま一度ゴミとなり、ステップアップのために生まれ変わります」 という趣旨の文言であったのでしょう。それが長い年月を経て、省略、倒置され現在 の形の呪文となって伝承されています。
蛇足ですが、このような省略形が出来上がった背景には、やはり言霊信仰が影響して います。つまり、合理的に考えれば、「ヒダマリ様のお陰で〜」という一文ですます こともできるのですが、神様の名をたやすく呼ぶことが憚られたからなのでしょう (司祭は神を呼び出す役目なので例外)。